奥野の映画評論コーナー

気まぐれで書いてきます

『15時17分、パリ行き』〜イーストウッド作品から見る邦画の今〜

クリント・イーストウッド最新作 『15時17分、パリ行き』

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今日本で最も話題な作品の一つではないでしょうか。公開直後は勿論、公開から少し経ってから劇場に足を運んでもほとんど満席だったので驚きました。

本来なら映画の内容について掘り下げて行きたいのですが、今回はあえて映画の内容には触れず、この映画を観て感じた私の個人的な感想を述べさせて頂こうと思います。最後まで読んで下さると嬉しいです。

 

2006年『硫黄島からの手紙

2008年『グラン・トリノ

2014年『アメリカン・スナイパー

2016年『ハドソン川の奇跡

そして2018年『15時17分、パリ行き』

 俳優だけでなく映画監督としても確固たるキャリアを築き上げたクリント・イーストウッド。彼の目には一体何が写っているのだろうか。

 

本作『15時17分、パリ行き』は2015年8月21日にフランス高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件に基づいて作られたノンフィクション映画です。

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その本作が圧倒的に異色の作品だと言われる大きな要因となっているのは、俳優・女優をほとんど起用していない事だと思います。

主人公を演じた3人の若者、そしてテロリストに打たれた被害者、その妻、その場に居合わせた数十人もの乗客、駆けつけた警察に救急隊、彼ら全員が「本人」なのです。

ノンフィクション映画内で、実際に事件を経験した本人に役を演じさせるという手法自体は前作『ハドソン川の奇跡』でも使われているものの、今作のそれは規模がまるで違います。前作はあくまで主演は名優トム・ハンクスであり、紛れもないスター映画であることに間違いはないでしょう。

さらに今作では事件の撮影現場や、3人が観光する場所、その時の会話、その時の全員の服装、幼少期の生活など、驚くほど細部まで現実を忠実に再現しています。

つまり僕たち観客が見せられているのは、限りなく現実に近い映像なのです。

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何故ここまでリアルにこだわるのか、 それはこの映画ラストの「奇跡」を目にすればきっと分かるはず。僕が今ここで言葉にするのは無粋な気がするので割愛させて貰います。

 

 

さて、ここから今回の本題です。

僕がこの映画を観ている最中ずっと頭に浮かんでいたものがありました。

「洋画と邦画の決定的な違い」です。

 

 僕が普段、観させて頂く映画は洋画、特にハリウッド作品が群を抜いて多いです。やはり邦画に対する苦手意識(勿論例外も多くあります)が拭いきれず、自然と手が伸びるのは洋画になってしまいます。

では邦画の何が苦手なのか。

答えは演技」です。

 

洋画における演技の上手さとは、リアルに徹する事です。

会話の中に不自然さを微塵も出さず、まるでカメラなど無いかのように演じることが評価されます。

 

一方で邦画における演技の上手さとは、脚色です。

漫画やアニメの登場人物が三次元に飛び出してきたかのように演じることが求められます。

必要以上に表情を変え、息遣いを荒くし、泣き叫び、怒鳴り散らす俳優が「演技が上手い」と世間に評価されます。

 

日本という国は根本から漫画やアニメの文化が根付いており、今や切っても切れないものとなっています。

例えばカイジや志々雄真実を実写版で演じた藤原竜也の演技は、カメラありきの演技です。漫画の中のキャラを完璧に演じてみせるのはまた才能ですが、それ故に実際の世界で僕たちが行う自然な会話や言動とは遠くかけ離れているということになります。

 

シン・ゴジラ』で石原さとみだけが浮いてるように感じたり、『ガリレオ』では全く感じなかったものの、劇場版の『容疑者Xの献身』では福山雅治が物語の空気とまるで噛み合っていないように感じるのはそのためだと思います。

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つまり、邦画の演技の多くは誇張され、カメラありきの、漫画的な演技なのです

(邦画の一部の作品の話です。素晴らしい演技によって最高の世界を作り上げた邦画は勿論たくさんあります。)

 

 それ故にリアルでシリアスな題材を取り扱った作品だと、その作品自体の空気と演者の醸し出す雰囲気に決定的な差異が生まれることになります。

(分かりやすい例を挙げるなら、ジョニー・デップの演技が『パイレーツ・オブ・カリビアン』と『オリエント急行殺人事件』とで同じだったら違和感しかないですよね?)

 

そして『15時17分、パリ行き』。

前述の通り、この映画は極限までカメラの存在を無くした映画です。まるで僕たちの日常をそのまま切り取ったかのような。

(これが即ちラストの「奇跡」につながる伏線になりうるということもまた明らかです。)

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今や世界を代表する映画監督となったイーストウッドの目指す場所は、日本の目指している場所と対極に位置しているような気がしたのは僕だけでしょうか。

 

洋画に慣れてしまうと、日本の恋愛映画にしろサスペンス映画にしろホラー映画にしろミステリ映画にしろアクション映画にしろ、どれも演者の作りすぎた顔と声に不自然さを抱いてしまいます。洋画をよくご覧になる方なら分かって頂けると思うのですが...

(納得できない方は、ハリウッド版『ドラゴン・タトゥーの女』の予告編を見てから、『ラプラスの魔女』の予告編でも見れば分かって頂けると思います。後者が茶番のように感じるはずです。)

 

漫画の実写化をまるで馬鹿の一つ覚えのように撮り続ける今の日本の映画シーンは、果たして良いものと言えるのでしょうか。まだ完全とは言えませんが日本の観客たちもハリウッド作品などに触れる機会が増え、少しずつ目が肥えてきていると言って良いでしょう。実写邦画が世界に認められるようなものになるには僕たちのような観客から意識を変えていく必要があるのかもしれません。

 

ここまで付き合って頂き本当にありがとうございました。

彼らに起こった「奇跡」は、たまたま起きただけの偶然か、それとも成るべくして成った彼らの運命か。そしてその時その行動を起こすのは一体誰なのか。ぜひ劇場で目撃してください。

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最後に。素敵な映画をありがとうございます。イーストウッド監督作品の中で、個人的には『アメリカン・スナイパー』に次ぐ二番目に好きな映画となりました。