奥野の映画評論コーナー

気まぐれで書いてきます

映画『ナイブズ・アウト』レビュー 感想/評価 ネタバレ無し

f:id:taichirookuno0907metalgear:20200205122250j:image

大豪邸と密室殺人と名探偵。

このような伝統的なフーダニット映画を完全なオリジナル作品として世に打ち出すその心意気こそ、私がこの映画に惚れ込んだ一つの要因だろう。

元より私は、古典的なフーダニットが好きで小説と映画に大乱費し続けているような人間である。クラシックミステリー小説のリメイクを除けば、大々的なフーダニット作品がほとんど制作されていない近年の映画市場において、この『ナイブズ・アウト』が生まれたのは、鑑賞するまでもなく心が奔馬のように逸るというものだ。

 

フーダニット映画はその構造上、多額のコストが要求される。

伏線として序盤から真犯人を目立たせる必要がある為、真犯人を演じる俳優には高い演技力と知名度が求められる。しかし一方で、その他大勢の容疑者を平凡なキャスティングに収めてしまうと真犯人を観客に悟られる可能性がある。それを避ける為に、まるでオールスターのようなキャスティングを行う必要がある。

またミステリーというジャンルであるが故に、その脚本は他のジャンルと比較して更に複雑なものとなる。本作のように完全なオリジナル作品としてゼロからプロットを組み立てる場合、その労力とコストは想像を絶するものとなるだろう。

 

このようにスタートラインから難関ばかりのフーダニットを、現代において更に映画として高い完成度に押し上げるのはとても一筋縄ではいかない。つまり、古き良き古典的なフーダニットを巧みに作り上げたてしても、それは古き良きフーダニットのコピーでしかない。コピー作品をわざわざ作るくらいなら、アガサ小説のリメイクを作った方がよっぽど興行成績も期待できるだろう。

この壁を打ち破る方法は一つ。"伝統とオリジナリティの融合"という荒波の中で船を操るような所業である。

本作のオリジナリティの根元は、伝統的なフーダニットを常にメタ的な構造で俯瞰している点だろう。フーダニットというジャンルを使って全力で遊んでいる監督の笑顔が見て取れるような作品だ。

本作で監督・脚本・製作を手掛けたライアン・ジョンソンは、自身のインタビューの中で以下のように述べている。

「掟破りそのものは目的ではない。『ナイブズ・アウト』は定型を外しながらも、目的はミステリー映画として観客を満足させることなんだ。」

本作は、フーダニットのクリシェや修辞技法を革新させつつ、アガサを始めとするクラシックなミステリーへの愛と敬意を見事に表現している。ここで重要なのは、その愛と敬意とは単なるオマージュとは一線を画する領域であるという事だ。

それが最も顕著なのは、本作でダニエル・クレイグが演じた名探偵ブノワ・ブランの立ち位置だろう。彼の魅力はクラシックミステリーにおけるエルキュール・ポアロミス・マープルシャーロック・ホームズの魅力そのものだ。ミステリーファンなら誰しもが、ブノワ・ブランの名探偵としての輝きに熱狂するだろう。初めて目にするキャラクターであるのにも関わらず、どこか懐かしさを感じる。それでいてこの男こそがまさしく"名"探偵であるというある種の絶対的な安心感。ブノワ・ブランという新たな名探偵の誕生に、吹き零れるような喜びを感じるのは私だけではないはずだ。

これらを実現した要因として、ダニエル・クレイグの俳優としての見事な演技力が挙げられるのは明白だ。まず誰もが驚くのが、劇中で彼が南部出身のアメリカ人を演じたという点だろう。007でお馴染みのジェームズ・ボンドとしてのイメージを一新し、滑らかなテネシー訛りで飄々と語る名探偵像を確立するために、膨大な練習を行ったとのことだ。

監督の抜かりのないキャスティングに加え、華やかな名優たちの遺漏のない演技が見事に組み合わさり生まれた、まさに傑作だ。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20200205143743j:image

 

まだまだ語りたい事は山ほどあるのですが、これ以上書き続けるとネタバレの領域に触れてしまいそうなので、この辺りで筆を置かせて頂きます。

ミステリー好きであってもそうでなくても、必ず楽しめる作品だと思います。是非映画館に足を運んでみて下さい。

最後まで読んで下さりありがとうございました!

「これだけは外すな!」2019年 上半期 おすすめ映画ベスト3

文化が芸術を生んだのか。それとも芸術が文化を生んだのか。

これは人類にとって最も難解な問いであると言える。

この命題の真偽を確かめる術など私は持ち合わせていないが、一つ間違いなく言えることは、芸術と文化は切っても切れない関係にあるということだろう。

 

ここで当然浮かび上がるのは「芸術とは何か」、という問題である。

少なくとも“遊び”無しに芸術が生まれることはない。言い換えるなら、芸術とは一種の“遊戯”を高い次元へ昇華させたものであるとも言える。

今から約80年ほど前ヨハン・ホイジンガは、遊戯こそが人間活動の本質であり文化のオリジンだとした。

これを正しいとするならば、「芸術とは何か」を理解することが、「人間とは何か」を理解する第一歩になるのではないだろうか。

 

さて、我々が“芸術”と聞いて連想するものは、絵画・彫刻・舞踊・建築・演劇のようなどこか格式ばったものばかりで、自分にとって馴染みの無いものに思えるかもしれない。

このイメージはあながち間違ってはいないのだが、しかし一つだけ我々にとってとても馴染み深い芸術が存在する。

言うまでもなく「映画」だ。20世紀に大きな発展を遂げた表現手段である「映画」は、“最も近代的な芸術”だとも言えるだろう。

 

ということで、みんな映画を観よう!(無理やり感)

 

そろそろ本題に入っていきましょう...

この半年間を振り返ると、いわゆる超大作と呼ばれるような作品は少なく、比較的低予算で作られた良作が豊富だったような印象です。

尤も、『アベンジャーズ/エンドゲーム』の歴史的大ヒットによって世間の印象は真逆になっているかもしれませんが。

しかし実は北米では、10月に日本での公開を控える『ジョン・ウィック:パラベラム』が『アベンジャーズ/エンドゲーム』の公開からわずか3週間でランキング首位を奪っています。公開を楽しみにしている映画ファンも多いでしょう。

ではこの半年間で公開された作品の中で、私が皆さんに是非お勧めしたい3つの作品を紹介させて頂きます。

(当ブログ末尾に、私がおすすめする2019年上半期の映画を1位から10位まで一気に並べています。そちらも合わせて参考にしてみてください。) 

 

目次

 

第3位

女王陛下のお気に入り

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190607120712j:plain

 

「洋画」と聞いて、ド派手なアクション映画やSF映画ばかりを思い浮かべてしまう人はやはり一定数いると思いますし、その価値観を否定するつもりは一切ありません。

ですが私は今回この評論を通して、そういった方々に新たな「映画観」を知って頂きたいと思い、本作をこの順位にしました。

 

本作は、「普段あまり映画を観ない方にこそ特にお勧めしたい映画」です。

 

第91回アカデミー賞では『ROMA/ローマ』と並び最多9部門10ノミネートを獲得し、オリヴィア・コールマンが主演女優賞を受賞した事でも話題となりましたが、残念なことに日本での認知度はそこまで高くないような気がします。

誰もが知る名女優エマ・ストーンを以ってしても国内での興行成績が芳しくない現状は、日本の映画後進国としての一面を感じさせます。

 

前置きはこのくらいにして映画の内容に触れていきます。

 

この映画が扱うテーマはあくまで「愛」と「野望」というありふれたものであり、難解なストーリーではないので、そう言った意味では観やすく、すんなりと入ってくる映画だと言えるでしょう。

しかし、シンプルなテーマを軸としながらもここまで既成の枠にとらわれない作品に仕上げてしまう監督の手腕は驚異的です。

 

実際にこの映画をご覧になれば一目瞭然なのですが、とにかく撮影方法が独特です。

本作の監督を務めたヨルゴス・ランティモスは、自身のインタビューの中で本作の撮影方法について以下のように語っています。

 

「超広角レンズの映像が歪な世界観を引き立てる。広い空間に数人しかいなければ、どんな金持ちでも囚人のように見える。」

 

スクリーンに映るものはどれも豪華で美しいのですが、薄暗く歪んだ映像からは、ある時は不穏で、ある時は滑稽な空気を強く感じます。

また、広い画角で人物を捉えたかと思えば今度は極端にカメラを人物に近づけるなど、映像一つで意図的に我々観客を不安にさせます。

 

また観客を不安にさせる要素として、撮影方法の他にBGMも挙げられます。

全編を通して居心地の悪いクラシックが鳴り響く演出は、まるで我々観客が異質な世界に迷い込んでしまったかのような感覚にさせます。

前述の撮影効果とこのようなBGMの組み合わせによる不気味さは他に類を見ないレベルだと言えるでしょう。

 

並外れた演出力でこれほどまでに不気味な異世界を構築していく様には感動すら覚えます。

これこそが「映画」だ!

と、声を大にして言いたい作品です。

 

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190607120933j:plain

 

 

第2位

『ハッピー・デス・デイ』

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704122732j:plain

 

「ちょっと暇だし、面白くて軽い気持ちで観れる映画ないかなあ」と思っているあなた。

この映画こそが面白くて軽く観ることの出来る映画の最高到達点です。

製作にあたったのは『パラノーマル・アクティビティ』シリーズ、『ゲット・アウト』、『スプリット』、『ハロウィン』、『パージ』、『ヴィジット』などの名作ホラー映画を手掛けた“あの”ジェイソン・ブラム。(個人的に全てのホラー映画の中で一番好きな作品は『ヴィジット』です)

映画ファンならこの字面を見るだけで「観に行くしかないだろ」と思ってくれそうですが、映画に詳しくない方や、ホラーが苦手だという方のために、この場を借りて私が責任を持ってあなたの足を映画館に運ばせます。(もしくはTSUTAYAに)

まず言わなくてはいけないことは、この映画はホラーではありません!安心してください!

ホラー要素が一切ないと言ったら嘘になりますが、その割合は半分にも満たないと言っていいでしょう。

公開初日のほぼ満席の劇場は爆笑で包まれていました。2019年上半期1のコメディ映画だということに誰も異論はないはずです。

 

本作の内容を一言でまとめると「タイムループ系SFダークコメディ」です。

同じ日、同じ時間をループし続ける主人公がそのループから抜け出すという、SF映画や日本のアニメなどでもよくみられる展開ですね。

(余談ですが「ループ系SF映画」の個人的最高傑作は『ミッション:8ミニッツ』です。)

本作の見事な点は、一種の確立されたジャンルである「ループ系SF」をホラー映画的・スラッシャー映画的な展開に落とし込んだことです。

まず当たり前な話ですが、ホラー映画は怖くあるべきであり、ループ系SF映画は楽しくあるべきです。そして「怖い」と「楽しい」の両立はとても難しいでしょう。

しかし本作は「ホラー」という展開と「SF」という展開に加えて、さらに「コメディ」要素、犯人探しという「ミステリー」要素までぶち込んできたわけなんです。

もうどんな感情で観てればいいか分からないです。

殺人鬼の恐ろしさに息を呑んだかと思えば、今度は涙が出るほど爆笑させられ、そしてその涙が次は感動によるものへと変わります。

ここまで96分間を一瞬に感じる映画体験は人生を通して稀有な経験となるでしょう。

 

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704123523j:plain

 

このように圧倒的なまでのエンターテインメント性に満ち溢れた本作ですが、その魅力はそれだけに留まりません。「あ~面白い映画だった」だけでこの映画は決して終わらないのです。

本作をご覧になれば分かるのですが、ジェシカ・ローテ演じる主人公の女子大生ツリーはいわゆるクソ女です。そのため本作に付けられたキャッチコピーは「時を駆けるビッチに明日は来るのぉぉぉ?」という、なんだか筒井康隆の小説を連想させるような色々な意味でぶっ飛んだものとなっています。

しかし、スピード感溢れるアップテンポな展開の中で、クソ女だった主人公ツリーは確かに成長していくのです。これまでの自分の行いを省み、自分の人生を正しく生きようと奮闘する彼女の姿には心打たれるものがあります。

そしてその彼女の姿は、きっと私たちの人生に大きなパワーをもたらしてくれる強固なメッセージとなることでしょう。

この映画を観終わった誰もがジェシカ・ローテ演じる女子大生ツリーを大好きになっているはずです。

本作を大成功に導いた立役者(文字通り)は、主演を務めたジェシカ・ローテでしょう。これ以上ないほど完璧な配役だと思います。

見るものを惹きつける演技力と、歩くだけで様になる美貌、そしてジェシカ・ローテ本人に備わるカリスマ性。これらなしにしてこの映画は実現しなかったでしょう。


f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704123202j:plain

 

96分間という比較的短めな上映時間も、軽い気持ちで観る映画としては丁度良いものではないでしょうか。

大の映画ファンの方は たまにはこんな映画も、普段映画を観ない方はこの映画だけは、是非観てみて下さい!

 

 

第1位

『ハンターキラー 潜航せよ』

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190526150856j:plain

 

我らがジェラルド・バトラーが主演を務め、名優ゲイリー・オールドマンや、惜しくも2017年にこの世を去ったミカエル・ニクヴィストらが脇を固めた新時代の<潜水艦モノ>映画です。

 

とにかく面白い!この一点に尽きる!老若男女全世界の全人類にお勧めしたい作品でございます。

ここ最近はスクリーンに滅多に姿を見せなくなった<潜水艦モノ>ですが、その理由として挙げられるのは「もうネタが無い」ってところですね。

それだけに、この映画を製作するにあたってのハードルの高さは想像を絶するものだったと思います。

それを踏まえて本作は、<潜水艦モノ>というジャンルに、いわゆる<特殊部隊モノ>を掛け合わせる事で映画史における前人未到の新天地へと歩を進めたのです。

この字面だけを見て「面白いジャンルと面白いジャンルを合体させてるんだからそりゃ面白くなるでしょ」なんて思う前に少し考えてみてください。

 

「サッカーと野球を五分五分の割合で混ぜた新しいスポーツを作ってください」

 

そう、まさにこれなんです。あなたが今「いや色々無理でしょ」と思ったそれを、この映画はやってのけているのです。しかも完璧に。

「サッカーと野球を五分五分の割合で混ぜた新しいスポーツ」を綺麗に作ってしまっているのです。

 

勿論この映画の魅力はそれだけに留まりません。

まずはっきりと分かる事は、主演ジェラルド・バトラーの使い方でしょう。

主演がジェラルド・バトラーと聞けば、きっとこの映画はいわゆる<潜水艦モノ>と言うより、彼が身体を張りまくるバチバチのアクション映画になるだろうと、そう思うはずです。(私もそう思ってました)

しかし本作で彼が作中にやる事と言えば「立って喋る」くらいなんです。

「よく聞け、お前の弟の断末魔だ。」と、自分が今まさに刺し殺してる人のお兄さんに電話してあげるジェラルド・バトラーは一体どこへ…(エンド・オブ・キングダムの名?場面です)

派手な動きのない役柄にも関わらず、「この男は別格だぞ」と思わせる彼の演技力の高さには最早言及の必要性など無いですが、それを更に際立たせる映画としての演出方法は絶賛に値します。

例えば映画序盤で初めて敵艦と遭遇する場面、つまり物語の掴みの場面で、我々観客だけでなく彼の部下までも含めた「全員」が一瞬にしてジェラルド・バトラー演じるグラス艦長の別格感を思い知るシーンがあります。

潜水艦の乗組員も、スクリーンの前に座る我々も、まさしく「Holy Shit」です。この「Holy Shit」に至るまでに、分かりやすく部下からの人望がないというような演出をしていたのも一種の布石となっています。

つまりグラス艦長の部下たちと、我々観客の視点がばちんとリンクするような構造を意図的に作り出しているのです。 

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190526152306p:plain

 さらに物語全体を通しての脚本の作りは完璧に近いと言っていいでしょう。

ネタバレになるのでここでは口に出来ませんが、映画最終盤にジェラルド・バトラー演じるグラス艦長はある大英断を下します。

実はこの最後の決断、グラス艦長が最初にスクリーンに登場する場面ですでに暗示されているんです。

そしてクライマックスのカタルシスは形容し難いほどの爆発力を持っています。

122分間どのシーンをとっても一切の無駄がないような、緻密で計算し尽くされた脚本にはただただ嗟嘆する他ありません。

 

最後にもう一度言わせてください。

 

とにかく面白いです!

 

是非観てみてください!お勧めです!

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190526150808j:plain

 

 

 

10位から1位までを一挙紹介!

最後に、私がこの半年間で鑑賞した新作映画の中から、惜しくもベスト3入りを逃した作品(10位~4位)を一挙紹介したいと思います。

ぜひ参考にしてみてください!

 

 

10位 『ハウス・ジャック・ビルト』

連続殺人犯ジャックの12年間にわたる物語が描かれるサイコロジカルホラー映画。

まるで倒れそうな天秤を見せられているような映画です。

ショッキングなゴア表現とダークすぎるユーモアがとてつもないバランス感覚で成り立っています。

R18+指定映画ということもあり、とても万人におすすめ出来る映画ではありませんが、大の映画ファンにとっては必見の作品です。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704134651j:plain

 

 

9位 『ブラック・クランズマン』

コロラド州コロラド・スプリングスで、アフリカン・アメリカン初の市警察巡査となったロンの活躍をコミカルに描いた伝記映画です。

人種差別というダークな話題を、コメディ感を強めることでとても観やすいものにしています。

そして終盤に用意されたカタルシスは万歳して叫びたいほど気持ちのいいものです。

しかし、本作の持つメッセージ性は恐ろしいほど強力だと言えます。

そのギャップが世界的な大絶賛を引き起こした大きな要因でしょう。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704215351j:plain

 

8位 『ミスター・ガラス』

言わずと知れたホラー映画界の異端児M.ナイト・シャマラン監督の最新作。

アンブレイカブル』、『スプリット』に続くシャマCU作品()の最終章です。

これらの作品を観てきた方達なら勿論、この映画から観初めた方でも十分楽しめるはずです。

個人的には少なくとも前作の『スプリット』だけは予備知識として観てからにすると、本作の面白さは倍増すると思います。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704134704j:plain

 

 

7位 『ファースト・マン

史上初めて月面を歩いた宇宙飛行士ニール・アームストロングの月面着陸ミッションを描いた伝記映画です。

これだけ読むとありふれた米国万歳映画に思えるかもしれませんが、他の宇宙開発を描いたノンフィクション映画と比べると、水と油と言えるまでに異彩を放つ作風で描かれています。

本作品はあくまでニール・アームストロング自身の物語を描いたものであり、NASAの輝かしい成功を描いたものではありません。

「今更アポロ計画の映画なんて観なくていいや」と早合点する前に、この映画だけはどうか...!

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704134707j:plain

 

 

6位 『バイス

またもやクリスチャン・ベールの怪演が光っております。

ノンフィクション映画でありがちな中だるみした展開を見事に潰しており、テンポよくストーリーが展開していく様は本当に気持ちがいい!

また、その展開のさせ方自体がとても斬新かつ奇抜です。

退屈とはかけ離れた映画でしょう。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704134715j:plain

 

 

5位 『七つの会議』

本ブログ唯一の邦画となりました。

原作である池井戸潤の小説が傑作的に面白いので映画化しても面白いのは当然と言えば当然な話でございます。 

やはり誰もが連想するのがTBS系で放送されたテレビドラマ『半沢直樹』でしょう。

半沢直樹』を楽しんでご覧になっていた方なら、必ず本作も気に入って頂けるはずです。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704134717j:plain

 

 

4位 『運び屋』

名匠クリント・イーストウッドが『グラン・トリノ』以来10年ぶりに監督・主演を務めた実際の報道記事に基づく犯罪ドラマです。

今回私が取り上げた作品の中では、最も世間的に話題となった作品ではないでしょうか。

最後(かもしれない)のイーストウッド主演・監督作品となれば、ある程度の映画ファンなら何も考えずに映画館へ向かうはずです。

わざわざ私がベスト3に取り上げずとも、すでに劇場でご覧になった方々が多いと思うのであえてこの順位にいたしました。

こんなことを今更書くのもおこがましい話ですが、やはり彼の演出力は驚異的です。

特にクライマックスの絵的なバイタリティは息を呑むほど壮観です。

見逃してしまった方はMUSTで観てください笑

f:id:taichirookuno0907metalgear:20190704134721j:plain

 

 

ここまで読んで下さり、本当にありがとうございます。

このブログが少しでも皆様の映画選びの参考になることを祈っております。

また、普段あまり映画をご覧にならない方が、1ミリでも「映画」というものに興味を持って頂けたなら、私にとってこれ以上の喜びはありません。

 

そして最後に、映画に携わる全ての方々に感謝の意を表します。

いつも素敵な時間をありがとうございます!

『15時17分、パリ行き』〜イーストウッド作品から見る邦画の今〜

クリント・イーストウッド最新作 『15時17分、パリ行き』

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180316131133j:plain

今日本で最も話題な作品の一つではないでしょうか。公開直後は勿論、公開から少し経ってから劇場に足を運んでもほとんど満席だったので驚きました。

本来なら映画の内容について掘り下げて行きたいのですが、今回はあえて映画の内容には触れず、この映画を観て感じた私の個人的な感想を述べさせて頂こうと思います。最後まで読んで下さると嬉しいです。

 

2006年『硫黄島からの手紙

2008年『グラン・トリノ

2014年『アメリカン・スナイパー

2016年『ハドソン川の奇跡

そして2018年『15時17分、パリ行き』

 俳優だけでなく映画監督としても確固たるキャリアを築き上げたクリント・イーストウッド。彼の目には一体何が写っているのだろうか。

 

本作『15時17分、パリ行き』は2015年8月21日にフランス高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件に基づいて作られたノンフィクション映画です。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180316131157j:plain

その本作が圧倒的に異色の作品だと言われる大きな要因となっているのは、俳優・女優をほとんど起用していない事だと思います。

主人公を演じた3人の若者、そしてテロリストに打たれた被害者、その妻、その場に居合わせた数十人もの乗客、駆けつけた警察に救急隊、彼ら全員が「本人」なのです。

ノンフィクション映画内で、実際に事件を経験した本人に役を演じさせるという手法自体は前作『ハドソン川の奇跡』でも使われているものの、今作のそれは規模がまるで違います。前作はあくまで主演は名優トム・ハンクスであり、紛れもないスター映画であることに間違いはないでしょう。

さらに今作では事件の撮影現場や、3人が観光する場所、その時の会話、その時の全員の服装、幼少期の生活など、驚くほど細部まで現実を忠実に再現しています。

つまり僕たち観客が見せられているのは、限りなく現実に近い映像なのです。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180316131122j:plain

何故ここまでリアルにこだわるのか、 それはこの映画ラストの「奇跡」を目にすればきっと分かるはず。僕が今ここで言葉にするのは無粋な気がするので割愛させて貰います。

 

 

さて、ここから今回の本題です。

僕がこの映画を観ている最中ずっと頭に浮かんでいたものがありました。

「洋画と邦画の決定的な違い」です。

 

 僕が普段、観させて頂く映画は洋画、特にハリウッド作品が群を抜いて多いです。やはり邦画に対する苦手意識(勿論例外も多くあります)が拭いきれず、自然と手が伸びるのは洋画になってしまいます。

では邦画の何が苦手なのか。

答えは演技」です。

 

洋画における演技の上手さとは、リアルに徹する事です。

会話の中に不自然さを微塵も出さず、まるでカメラなど無いかのように演じることが評価されます。

 

一方で邦画における演技の上手さとは、脚色です。

漫画やアニメの登場人物が三次元に飛び出してきたかのように演じることが求められます。

必要以上に表情を変え、息遣いを荒くし、泣き叫び、怒鳴り散らす俳優が「演技が上手い」と世間に評価されます。

 

日本という国は根本から漫画やアニメの文化が根付いており、今や切っても切れないものとなっています。

例えばカイジや志々雄真実を実写版で演じた藤原竜也の演技は、カメラありきの演技です。漫画の中のキャラを完璧に演じてみせるのはまた才能ですが、それ故に実際の世界で僕たちが行う自然な会話や言動とは遠くかけ離れているということになります。

 

シン・ゴジラ』で石原さとみだけが浮いてるように感じたり、『ガリレオ』では全く感じなかったものの、劇場版の『容疑者Xの献身』では福山雅治が物語の空気とまるで噛み合っていないように感じるのはそのためだと思います。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180316134710j:plain

つまり、邦画の演技の多くは誇張され、カメラありきの、漫画的な演技なのです

(邦画の一部の作品の話です。素晴らしい演技によって最高の世界を作り上げた邦画は勿論たくさんあります。)

 

 それ故にリアルでシリアスな題材を取り扱った作品だと、その作品自体の空気と演者の醸し出す雰囲気に決定的な差異が生まれることになります。

(分かりやすい例を挙げるなら、ジョニー・デップの演技が『パイレーツ・オブ・カリビアン』と『オリエント急行殺人事件』とで同じだったら違和感しかないですよね?)

 

そして『15時17分、パリ行き』。

前述の通り、この映画は極限までカメラの存在を無くした映画です。まるで僕たちの日常をそのまま切り取ったかのような。

(これが即ちラストの「奇跡」につながる伏線になりうるということもまた明らかです。)

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180316131146j:plain

 

今や世界を代表する映画監督となったイーストウッドの目指す場所は、日本の目指している場所と対極に位置しているような気がしたのは僕だけでしょうか。

 

洋画に慣れてしまうと、日本の恋愛映画にしろサスペンス映画にしろホラー映画にしろミステリ映画にしろアクション映画にしろ、どれも演者の作りすぎた顔と声に不自然さを抱いてしまいます。洋画をよくご覧になる方なら分かって頂けると思うのですが...

(納得できない方は、ハリウッド版『ドラゴン・タトゥーの女』の予告編を見てから、『ラプラスの魔女』の予告編でも見れば分かって頂けると思います。後者が茶番のように感じるはずです。)

 

漫画の実写化をまるで馬鹿の一つ覚えのように撮り続ける今の日本の映画シーンは、果たして良いものと言えるのでしょうか。まだ完全とは言えませんが日本の観客たちもハリウッド作品などに触れる機会が増え、少しずつ目が肥えてきていると言って良いでしょう。実写邦画が世界に認められるようなものになるには僕たちのような観客から意識を変えていく必要があるのかもしれません。

 

ここまで付き合って頂き本当にありがとうございました。

彼らに起こった「奇跡」は、たまたま起きただけの偶然か、それとも成るべくして成った彼らの運命か。そしてその時その行動を起こすのは一体誰なのか。ぜひ劇場で目撃してください。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180316133158j:plain



最後に。素敵な映画をありがとうございます。イーストウッド監督作品の中で、個人的には『アメリカン・スナイパー』に次ぐ二番目に好きな映画となりました。 

 

 

 

批評『グレイテスト・ショーマン』〜映画の在り方〜

ミュージカル映画。そう聴いて思い浮かべる作品はどれだろうか。

サウンド・オブ・ミュージック」や「ラ・ラ・ランド」、「レ・ミゼラブル」、「アナと雪の女王」など誰もが知る傑作の名前が挙がると思う

そしてこれらの傑作たちと肩を並べる、いや越える事となった作品が、今回紹介する『グレイテスト・ショーマン』である。

 

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180218152219j:plain

 

誤解を恐れずに先に結論を述べたいと思う。本作『グレイテスト・ショーマン』は「映画」としての出来は決して高く評価できない。実際に本作は当初、批評家からの厳しい評価を受け米Rotten Tomatoesでは約半分の批評家が否定的な評価を示した。

私自身もこの評価は妥当なものであると感じる。全体を通して美化されすぎた物語であることは否めないし、そのためかキャラクター達に深く感情移入することも難しい。

また社会的な偏見や差別の対象となってきたマイノリティがその不条理を打ち破る物語として見ても、やはり構成が希薄で単調である。

 

批評家からの厳しい評価や、同時期に公開された他の話題作も相まって、公開後3日間の興行収入は880万ドルという悪い滑り出しとなった。

 しかしその興行収入は公開から3ヶ月が経とうとしている今、1億5000万ドルに到達する事が確実となった。公開3日目の数学からは考えられない興行収入である。

 

本作がこのような快進撃を見せた理由は、実際に劇場に足を運びこの映画を観た方々なら、なんとなくでも感じ取れるのではないだろうか。

それを表現するには「映画の本来の在り方」、「映画の理想形」について言及しなければならない。

 

「映画」とはどうあるべきか。

私なりの言葉で表すなら、「映画館を出たその瞬間、景色が変わって見える」ものであるべきだ。

そして「僅か2時間の経験が、色褪せる事なくこの先の人生に影響を与え続ける」ものであるべきだ。

 

グレイテスト・ショーマン』を鑑賞し映画館から足を踏み出したその瞬間、私たちは世界がひび割れる音を聴くだろう。

こんなにも世界は美しいものであっただろうかと首を傾げ、しかしその首は次第に頭の中を流れる音楽と共に揺れ始め、そして無意識に歌を口ずさむ自分に気が付く。

 この映画は哀しみに溢れた世界を打ち砕く槌である。

 

『もっとも崇高な芸術とは人を幸せにすることだ』 P.T.バーナム

 

まさに彼の言葉を体現した映画だ。

周りの評価や批評ではない。ただ、観た者を心から「幸せ」にする事だけを徹底してみせた。

まさしくこれが『The Greatest Show』であることに異論など無いだろう。

 

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180218161759j:plain

 

本作について語りたいことは山ほどあるのだが、まだ観ていない方には出来るだけ白紙の状態で鑑賞して頂きたいので、この辺りで筆を置こうと思う。

 

「本物」とは何か。

「偽物」とは何か。

「幸せ」とは何か。

「信じるべきもの」とは何か。

 

この答えは全て『グレイテスト・ショーマン』の中にある。

ぜひ劇場でそれを見つけてきて頂きたい。

 

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180218152212j:plain

 

ここまで読んで下さりありがとうございました。

 

批評『キングスマン:ゴールデン・サークル』~新たなスパイ映画~

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180107230531j:plain

 年が明け、日本中の映画ファンの多くが待ち望んでいたであろうスパイ映画の続編がついに日本で公開となった。

キングスマン:ゴールデン・サークル」である。

前作「キングスマン」の大ファンである私にとって、公開初日に劇場で観ないという選択肢は勿論無く、公開から二日間で二回この作品をIMAXで鑑賞させてもらった。今回は本作の膨大な魅力を伝えるのにTwitterの140文字では余りにも少なすぎるため、このような形で筆を取ることにした。

なお物語に大きく関わる事柄についての言及、いわゆるネタバレは一切含まないため、まだ本作を観ていない方も安心して目を通して頂きたい。

 

まずこの映画を語るには、近年のスパイ映画の潮流から話す必要があるだろう。

マット・デイモン主演のボーンシリーズ、ダニエル・クレイグが主演になってからの新生ボンドなど、近年のスパイアクション映画はリアル化・シリアス化に向かっている傾向にある。

それらを真っ向から批判し、スパイ映画全盛期60〜70年代を彷彿とさせる、リアリティを排除した荒唐無稽な映画、それが前作の「キングスマン」であった。そしてその空気感を今作もしっかり受け継いでいる。

別の言い方をするならこの映画は、時代遅れとされるコンテンツにあえて手を出し、オリジナリティという名のカスタムパーツを使い、時代遅れという名の高級車を乗りこなしてみせたのだ。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180107230746j:plain

 

さて前置きはこのくらいにしておき、本題に入らせてもらおうと思う。

 まず本作を鑑賞した者なら誰もが呆気にとられる始めの10分間。

言うまでもなく前作「キングスマン」のオマージュが満載である。前作ファンなら自然と笑みがこぼれる部分であろう。逆に言うならば本作から初めて観た人への配慮も完璧である。

ここではあえて詳しく言及しないので、是非劇場で呆気にとられてもらいたい。

 

そして展開が急変し、本編がスタートする。名女優ジュリアン・ムーア演じるポピーの作戦によって、各地に点在するキングスマンの施設及びエージェントの自宅がミサイルによって吹き飛ばされる。今までの平和は文字通り消え去り、主人公エグジーと観客が絶望に包まれるという、物語においてとても重要な役割を担うシーンである。予告編にも大々的に使われている部分ではあるが、これが私たちに与える衝撃は相当である。ここで私が驚かされたのは、このシーンを「ただの派手なシーン」で終わらせなかったことにある。

そしてこの場面の秀逸さを語る前に、皆さんに是非説明しておきたいことがある。きっと誰もが何かのホラー映画で観たことがあるであろう演出の一つ、物音がしたと思ったら可愛い動物だった、という演出である。もう少し詳しく説明しよう。

 

 「土砂降りの夜、家に一人でいると外から物音が聞こえる。何か不穏な空気を感じながらも不審な音の発生源を調べに行く。バッとそこをライトで照らすと、そこにいたのはただの可愛らしい猫。ほっと安心しながらドアを閉めると、背後に殺人鬼が待ち構えている。逃げる間も無く悲鳴と共に惨殺される。

 

 このような演出である。きっとどこかで同じようなシーンを観た記憶があるだろう。これは古典的な手法ではあるものの、今でも使われることは多い。これは簡単に言えば「緊張の緩和による安心感からの落差を利用し、恐怖と驚きを倍増させる」ための手法だ。他にも効果は様々なのだがここでは割愛させてもらう。

さてこれを踏まえた上でキングスマンに戻ろう。ミサイルが施設に着弾する直前、エグジーの友人であるブランドンがエグジーの書斎に立ち入ってしまう。そして彼はあろうことかライター型の手榴弾を起動させてしまう。それに気づいた外出中のエグジーはブランドンに「今すぐそれを捨てろ」と叫び、間一髪で爆発を免れたエグジーはほっと胸をなでおろす。しかしその直後...!という演出である。先ほどの演出に大きく通じる手法だということが分かるだろうか。

細かい部分ではあるが、これがもたらす効果は絶大だ。このような演出の一つ一つがキングスマンキングスマンたらしめているのである。

 

 そしてその後の物語の修復も見事である。この映画は前述の通りシリアスな展開になってはいけない。あくまで荒唐無稽なふざけたスパイ映画でなくてはならない。キングスマンの施設を序盤で一掃するのは本作を開始させるためになくてはならないシーンであるが、だからと言って観客の絶望感を長引かさせてはならない。

そこでエグジーとマーリンのあのシーンである。本作を観た人なら思い出し笑い必至の場面ではないだろうか。そのユーモアとシリアスの絶妙なバランスはマシュー・ボーン監督の天才的な技量のなせる技である。その上このシーンが終盤のある重要なシーンに繋がる伏線になっている事もまた見事である。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180107230231j:plain

 

さてこの辺りで僭越ながら本作のマイナスポイントも挙げさせてもらおうと思う。だが誤解しないでいただきたいのは、本作におけるマイナスポイントとは、前作もまた良く出来すぎた映画であったがために、その前作と比較するとどうしても見劣りする部分が多少ぬぐいきれないという事だ。

前作「キングスマン」における物語終盤の圧倒的な見せ場。その衝撃によってそれまでのストーリーが全て頭から吹き飛ぶと言っても過言ではない、映画史に残る名シーン。「Lynyrd SkynyrdのFree Bird」が流れるシーンと、「威風堂々」が流れるシーンの二箇所である。誰もがスクリーンに魅入られ、全世界の観客が持っていたであろう映画の常識が音を立てて崩れたシーンである。

そして今作に、このシーンを超える衝撃があったかと問われればやはり言葉に詰まってしまう。今作にも多くの見せ場は用意されており、そのどれもが見事で素晴らしいものではあるが、前作には一歩届かなかったという印象を受けた。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180107231040j:plain

 

また、ネットで本作の批評を見てみると否定的な意見も多く存在する。主にみられる否定的な意見が、「主人公エグジーが私情に流されすぎている」というものだ。私はしっかりとこの意見に反論したい。こんな的外れな意見を晒していて恥ずかしくはないのだろうか。エグジーとハリーの航空機内での名シーン中に睡眠でもとっていたのかと疑わざるを得ない。

この「キングスマン」というスパイ映画は、007を始めとする古き良きスパイ映画に最大限の敬意を払っている映画ではあるが、007とは根本的に大きく異なるのである。主人公エグジーは暗殺のために政府に作られた殺戮マシーンなどではない。恋愛をし、友達とバカをするごく普通の青年なのである。そしてあくまでスパイに徹し続けてきたハリーとの差別化を図ったのが航空機内でのあのシーンであり、これは一種のメタ的な構造でもある。この「キングスマン」という映画の主人公はジェームズ・ボンドでもジェイソン・ボーンでもイーサン・ハントでもない、そういった位置づけを見事にやってのけた。

そのため、エグジーは私情に流されて結構。任務のために冷徹になる完璧なスパイなどになる必要はない。それが「キングスマン」であるのだから。

また脚本上の都合で、我々観客がどうしてもエグジーに感情移入するような展開を作らなければいけなかったという理由もあるだろう。あのどこからどう見ても現米国大統領にしか見えない彼のキャラもその一つではないだろうか。

 

最後に私から本作のラストシーンについて話させていただきたい。物語は終わり、エンドロールに向かう直前のシーンである。

この映画の最後を締めくくるセリフは、イギリスの政治家であったウィンストン・チャーチルの有名な言葉の引用である。

"Now this is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning."

(今は終わりではない。そしてこれは終わりの始まりですらない。しかしあるいは、始まりの終わりかもしれない。)

 次に劇場内の誰もが待ち望んだ、車を降りる彼のあの姿。

そしてKingsmanの文字。

エンドロール。

 

一つ言わせて頂こう。

 この世にある全ての映画の中で、このラストシーンに勝るラストシーンは存在しないと。

あのエンディングを目にしてしまったら何度でも劇場に足を運んでしまいたくなる。

これ読んでくれた全ての人に、ぜひ劇場でこのエンディングに溺れていってもらいたい。そしてそのままキングスマンの魅力に溺死していただきたい。 

 

キングスマン」こそがスパイアクションであり、映画であり、エンターテイメントであり、この先の映画史そのものを担う作品ではないだろうか。

 

 ここまで読んでいただきありがとうございました。

f:id:taichirookuno0907metalgear:20180108003315j:plain